成果に救われた理由

成果に救われた理由:アダルトチルドレンと子育ての気づき 人生再設計

―― 第二章 ② ――

私は、営業に向いていた。

そう思っていた。

でも気づけば、

私はその世界に安心していた。

結果が出れば、

「よくやった」と言ってもらえる。

努力は、数字という形で証明される。

そこには、曖昧さがなかった。

私は、それが好きだった。

契約が取れた瞬間。

「これで大丈夫」

そう思えた。

課長や支店長に褒められるのも嬉しかった。

でもそれ以上に、

“安心”があった。

成果が出ている私は、

価値がある。

成果を出している限り、

私は認められる。

私は、ずっとそうやって生きてきた。

過程よりも、結果。

頑張っているかどうかより、

できたかどうか。

評価は明確で、

努力は点数になる。

そこには、感情の揺れが入り込む余地がなかった。

⸻

契約を取るためなら、

夜遅くまで電話をかけ続けた。

誰よりも粘った。

断られても、

もう一度食い下がった。

周りが帰ったあとも、

一人になっても残っていた。

でも、それを「頑張りすぎ」とは思わなかった。

だって、成果が出ていたから。

数字がついてくる限り、

それは正しい努力だった。

むしろ私は、

“これくらい普通でしょ”

と思っていた。

むしろ、

成果が出ていない自分の方が、

よほど怖かった。

結果が出なかった日は、

家に帰る足取りが重かった。

誰かに何かを言われたわけじゃない。

でも、自分の中で

「価値が下がった気」がしていた。

私は、

成果が出ている自分しか

安心できなかった。

褒められると、ほっとした。

評価されると、

身体の力が抜けた。

「ちゃんとできている」

そう思える瞬間だけ、

私は安心できた。

このわかりやすさに救われていた。

私にとって、

とても居心地のいい世界だった。

今ならわかる。

私はずっと、

「できる自分」でいようとしていた。

「役に立つ自分」でいようとしていた。

そうしていれば、

安心できたから。

⸻

でも、母になってからは違った。

子どもは、

数字で測れない。

どれだけ頑張っても、

すぐに結果は出ない。

正解も、点数もない。

うまくできた日もあれば、

どうにもならない日もある。

そこには、

“成果で安心する”余地がなかった。

私は、戸惑った。

社会では通用していた自分の生き方が、

母としては全く通用しなかった。

それでも私は、

同じやり方で乗り切ろうとしていた。

もっと頑張ればいい。

もっとやればいい。

もっとできるはず。

そうやって、自分を追い込んでいった。

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