アフタヌーンティーの日、私は何を手放したのか

「アフタヌーンティーの日、私は何を手放したのか」というタイトル画像。会社員時代の自分と向き合い、過去をしまうタイミングについて綴ったエッセイ。 人生再設計

―― 第七章 ⑤ ――

先輩たちと、アフタヌーンティーに行った。

きれいに整えられた空間と、

ゆっくり流れる時間。

でもその中で交わされる話は、

思っていたよりもずっとリアルだった。

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その日、ひとつ思い出したことがあった。

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ついこの前、

会社で使っていたバッグを、捨てた。

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毎日持っていたもの。

仕事に行くときの、自分の一部みたいな存在だった。

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そのバッグは、

復帰するタイミングで新しく買ったものだった。

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久しぶりに仕事に戻れることが嬉しくて、

これからまた頑張るんだって、

少しワクワクしながら選んだのを覚えている。

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荷物が多いときに使えばいい。

取っておくこともできたと思う。

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でも、

捨てようと思った。

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思い入れが強すぎて、

もう“別の用途のバッグ”としては使えなかった。

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あのバッグは、

ただの物じゃなくて、

“あの頃の自分”そのものだった。

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母になっても働くこと。

子育てと仕事を両立すること。

それが、当たり前だと思っていた。

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会社には、

それを当たり前のようにやっている人がたくさんいた。

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その中でも、

部長の存在は大きかった。

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一児の母でありながら、

仕事でも結果を出している人。

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支えてくれて、

尊敬できて、

大好きな人だった。

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母になっても、こうやって働けるんだ。

私はそう思っていた。

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でも今日、

その見え方が少し変わった。

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遅くまで働く日も多くて、

子どもが夜遅くまでご飯を食べずに待っていることもあったと聞いた。

ママと食べたくて、帰りを待っているらしい。

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その話を聞いたとき、

なぜか、少し苦しくなった。

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私は、

何を見ていたんだろうと思った。

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仕事も子育ても両立していて、

ちゃんとやれている人。

そういう“表に見えている部分”だけを見て、

自分と比べて、

勝手に落ち込んでいた。

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でも実際は、

みんな、

何も抱えていないわけじゃなかった。

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うまくやっているように見える人も、

ちゃんとしているように見える人も、

それぞれに、

しんどさや葛藤を抱えながらやっていた。

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みんなできているんじゃなくて、

みんな抱えながらやっていた。

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私はずっと、

“正解”を探していた。

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こうすればうまくいく。

こうすれば評価される。

こうすれば、ちゃんとやれる。

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そんな“誰かの正しさ”を見て、

それを自分の基準にしていた。

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でも、

その裏側までは、何も見えていなかった。

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先輩たちは、

辞めた会社で一緒に働いていた人たちだった。

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母になって、

それぞれ忙しいはずなのに、

こうして会ってくれることが、

本当にありがたかった。

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先輩の一人は、

私が会社を辞めると話したとき、

抱きしめてくれた人だった。

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「人との出会いって一生だと思うから」

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その言葉が、

今日になって、

やっと本当だったと分かった気がした。

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会社を辞めたら、

全部終わるわけじゃない。

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残るものも、ちゃんとある。

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会社のバッグを捨てたあと、

もう一つ、思ったことがあった。

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異動したときにもらった色紙や、

退職のときにもらった手紙。

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大事にしたくて、

ずっと目に入る場所に置いていた。

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でも最近、

それを“しまおうかな”と思った。

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なくしたいわけじゃない。

忘れたいわけでもない。

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ただ、

いつでも見える場所に置いておかなくてもいいのかもしれないと、

思えるようになった。

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過去を手放すんじゃなくて、

過去をしまうタイミングが、

来たのかもしれない。

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次は、ジャージで近場のサイゼに集合しようって話になった。

「自転車だと飲めないから、歩いて来なさいね。」

と笑いながら言われた。

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ちゃんとしていることより、

気を張らずにいられることの方が、

大事だと思えるようになっていた。

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まだ迷うこともあるし、

これでいいのか分からなくなる日もある。

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それでも、

誰かの正しさじゃなくて、

自分の感覚で選んでいきたいと思っている。

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うまくできるかどうかじゃなくて、

私がどうありたいかで、選んでいく。

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