普通じゃなかったと気づいた日

普通じゃなかったと気づいた日:アダルトチルドレンと子育ての気づき 人生再設計

―― 第ニ章 ① ―― 

私は、自分に名前がついた日を覚えている。

それは誰かに呼ばれたわけでも、

肩書きをもらったわけでもない。

「アダルトチルドレン」という言葉を、

インターネットの記事で初めて目にした日だった。

育児本を読んでいたときから、

ずっと違和感はあった。

「こんな声かけはNGです」と書いてある言葉が、

どれも、私が子どもの頃にかけられていた言葉だった。

でもそのときは、

まだうまく言葉にできなかった。

ある日、ふと目にした記事。

そこに書いてあった説明を読んだ瞬間、

胸が、少し軽くなった。

私はおかしいわけじゃなかったんだ。

ずっとバラバラだった自分の感覚が、

ひとつの枠に収まった気がした。

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でも、その安心は長く続かなかった。

「カテゴライズされた」ことで、

私は一旦ほっとした。

自分がおかしいわけじゃなかった。

弱いわけでも、怠けているわけでもなかった。

そう思えた。

けれど同時に、

「こんなにも酷いことを、

私は“普通”だと思って生きてきたのか」

という衝撃が押し寄せた。

今まで普通だと思っていたことが、

普通じゃなかったんだと、

気づいてしまった。

フラッシュバック。

眠れない夜。

思い出したくない言葉が、

何度も何度も頭の中で再生された。

そして私は、動けなくなった。

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炊飯器のスイッチを押すことすら、できなかった日がある。

お風呂にも入れなかった。

気力がなかった。

1週間近く、入っていなかったこともあった。

子どもたちは2、3日に一度。

「外に出ていないから、大丈夫」

そんな理屈で自分を納得させていた。

ごめんね、と何度も思いながら。

こんな母でごめん、と。

2歳と0歳をワンオペしていたのに。

どうやって生きていたのか、

今でもよく分からない。

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私は、限界だった。

でも、その限界は

分かりやすい形では出てこなかった。

涙が止まらなくなるとか、

倒れてしまうとか、

そういうドラマみたいな崩れ方じゃなかった。

ただ、

炊飯器のスイッチが押せなかった。

お風呂に入れなかった。

やらないといけないことは

山積みなのに、

何に対しても無気力で、

何もできない。

それでも、

「ちゃんとやらなきゃ」

とだけは思っていたから

本当にしんどかった。

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私は育児うつなのかもしれないと思った。

よく聞く言葉だった。

でも、自分とは無縁だと思っていた。

完全には認められなかった。

認めたら負けだと思っていた。

こんなに頑張っているのに、

「育児に挫けた人」というレッテルを

貼られるのが悔しかった。

家族からは精神科の受診を勧められた。

ここまでになっていたのに、

それでも行けなかった。

プライドが許さなかった。

あのとき受診していたら、

何か変わっていたのだろうか。

今でも、時々考える。

でも、きっと問題はそこだけじゃなかった。

私はこのとき、

成果の出ないことに対して、

どこまで頑張れば「頑張った」と言えるのか、

分からなくなっていた。

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そしてある日。

子どもが騒いだとき、

私は思わず手を出してしまった。

限界に気づいてほしかった。

誰かに、止めてほしかった。

「大丈夫?」って言ってほしかった。

あれは、しつけじゃなかった。

助けてのサインだった。

それなのに私は、

「私が悪いんだ」と、

まだどこかで思い続けていた。

⸻

あの頃の私は、

正直、ぐちゃぐちゃだった。

安心したはずなのに、

崩れていった。

気づけたのに、

楽になれなかった。

むしろ、

気づいてしまったから、しんどくなった。

あのときの私は、

本当にいっぱいいっぱいだった。

⸻

今も、

私はあの時の自分を

まだ完全には許せていない。

でも。

あの頃の私を責め続けるのは、

もうやめたいと思っている。

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