「察してほしい」は、ほぼ無理だった

察してほしいは通じないと気づいた夫婦のすれ違いの話 人生再設計

―― 第三章 ① ――

私は仕事で、

「言葉にして伝えること」が

何より大事だと知っていた。

報連相。

伝えなければ、ズレる。

それは当たり前だった。

でも。

なぜか

家庭ではできていなかった。

私はずっと、

夫に

「言わなくても分かってほしい」

と思っていた。

察してほしかった。

私がどれだけ余裕をなくしているか。

どれだけ神経を張り詰めているか。

今このタイミングでそれをしないでほしいこと。

全部、

言葉にしなくても気づいてほしかった。

でもそれは、

コミュニケーションじゃない。

ただの期待だった。

そして期待は、

たいてい裏切られる。

あるとき、ふと思った。

私は仕事仲間に

こんな接し方、絶対にしない。

感情のままぶつけることも、

「なんで分からないの?」と責めることも、

しない。

仕事では、

相手を責める前に

言葉を慎重に選んでいた。

そのとき、少しだけ思ったことがある。

もしかしたら私は、

落ち着いて話し合う大人の姿を

あまり見てこなかったのかもしれない。

怒るときは、感情的に怒るもの。

それが普通だと思っていた。

だから私は、

「伝える」というより、

感情をぶつけてしまっていたのかもしれない。

そのとき、やっと思えた。

家族だからといって、

家庭は察し合いで回るものじゃない。

仕事でも、家庭でも、

いちばん大切なのは

コミュニケーションなんだと

やっと腑に落ちた。

ちゃんと言葉にして、

ちゃんと受け取る。

それがなければ、

どれだけ頑張っても

すれ違ってしまう。

私は、

大事だと思っていたことを

大事にできていなかった。

仕事では出来ていたことを、

家庭では出来ていなかった。

その事に、

薄々気づいていたけれど、

すぐには出来なかった。

自分の心に本当に余裕がなかったし、

あの時は、自分の思いを言葉にすることが、

すごく体力を使う事だった。

でも今思えば、

体力を使うべき所だったなと思う。

知らず知らずのうちに、

夫に対して

助けて欲しいと

言葉でなく態度で示してしまっていた。

頼りたいという気持ちはあったけれど、

その気持ちは何も伝わっていなかった。

夫に

言葉にして伝える勇気も、

持てていなかったのかもしれない。

「察してほしい」は、

ほぼ無理だ。

でも、

言葉にすることなら

できる。

私は

そこからやっと始めた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました