やらされて育った私と、東大に行った夫の話

東大出身の夫と自分の勉強への向き合い方の違いから、「やらされる」と「やりたい」の違いについて考えたエッセイ 人生再設計

―― 第六章 ⑥ ――  

夫は東大出身だ。

でも、

「勉強しろ」と言われたことが

ほとんどないらしい。

今でも、

本屋さんに行くと

暗算の本を買ってきて、

楽しそうに読んでいたりする。

正直、

すごいと思ったし、

少し不思議だった。

私はずっと、

「勉強はやらなきゃいけないもの」

だと思っていた。

言われるからやる。

やらないと怒られるからやる。

だから、

好きだと思ったこともないし、

面白いと思ったこともなかった。

でも夫は違った。

高校生の頃から、

デートの日でも

リュックに分厚い参考書を

何冊も入れていた。

当時の私はいつも思っていた。

「デートの日は

デートに集中してよ!」

と。

でも今思うと、

あの頃の夫は

“やらされていた”わけじゃなかった。

ただ、

やっていただけだった。

そして私はそのとき、

少し驚いていた。

勉強って、

やらなきゃいけないものじゃなくて、

「やりたい」

「面白い」

そう思う人が、

この世にいるんだ、

と。

ある日、聞いてみた。

「勉強しろって言われたことある?」

「ないね」

「じゃあなんで勉強してたの?」

「なんでだろうね」

そのやり取りは

とても軽かったけれど、

私の中では

少し衝撃だった。

同じ“勉強”なのに、

こんなに前提が違うことがあるんだ、

と思った。

私はずっと、

「やらされる側」だった。

でも夫は、

たぶん

「やりたい側」にいた。

きっと、

「やらされる」と「やりたい」は

同じことをしていても、

全く別物なんだと

このとき私は改めて気づいた。

じゃあ私は、

これから

子どもにどう関わればいいんだろう。

やらせた方がいいのか、

任せた方がいいのか。

そのバランスは、

今も正直よく分からない。

親となった今、

そのバランスを取る難しさは

身に染みて分かる。

ただひとつ思うのは、

私は、

「やらされる」だけでは

何も続かなかった。

だからこそ、

この子が何かに出会ったときに

「やってみたい」

と自分から思って

興味が持てるような関わり方を、

少しずつ探していきたいと思っている。

その「やってみたい」を、

これから子どもたちと一緒に、

見つけていけたらいいなと思っている。

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