せっかくお金をかけたのに

フィンランドの教育制度をきっかけに、子育てで感じるプレッシャーや「せっかくお金をかけたのに」という感覚について、個人の問題と社会の構造の視点から考えたエッセイ 人生再設計

―― 第六章 ③ ――

フィンランドの子育てについて

書かれた記事を読んだことがある。

フィンランドでは

税金は高いけれど、

子どもの教育費は

多くが社会で負担されているらしい。

学校教育も、大学院まで全て無償。

給食費も、

基本的には税金でまかなわれている。

それを読んだとき、

ある記憶を思い出した。

私は小学生のころから、

5年間塾に通っていた。

分からない問題があると、

家で親に聞くこともあった。

でもそのとき、

よく言われた言葉がある。

「お金払ってるんだから

塾で聞いてきなさい」

当時の私は

その言葉がつらかった。

でも大人になって、

親になって、

今なら

少しだけ分かる気もする。

お金を払っているのに。

せっかく塾に通わせているのに。

そう思う気持ちも、

きっと自然なことだ。

ごはんを残されたら

「もったいない」と思う。

習い事をさせて、

芽が出なかったら

「せっかくお金をかけたのに」

そう思ってしまうことも

これからもしかすると

少しはあるのかもしれない。

お金を稼ぐのが

どれだけ大変か。

それを知っている大人なら、

なおさらだと思う。

私はずっと、

これは

「経済的な余裕があれば

解決する問題なんじゃないか」

と思っていた。

お金に余裕があれば、

子どもに対して

「せっかくお金をかけたのに」

そんなふうには

思わずに済むんじゃないか、と。

だから私は、

子どもに対して

そう思ってしまう親には

なりたくないと

ずっと思っていた。

そう思わないように

なろうとしていた。

でもフィンランドの記事を読んだとき、

ふと思った。

もしかしたらこれも

構造なのかもしれない、と。

もし教育費の多くを

社会が負担しているとしたら、

親の中に

「せっかくお金をかけたのに」

という感覚は

生まれにくいのかもしれない。

それは

親の性格の問題というより、

社会の仕組みの違い。

ただそれだけのことなのかもしれない。

私は日本に住んでいるし、

これからも日本で暮らしていく。

だから、

どちらがいいとか

そういう話ではないと思っている。

でも、

子育ての中で感じる

色々なプレッシャーが、

実は

個人の問題ではなく

構造の問題でもあるのだと気づいた時、

やっぱり少しだけ

気持ちが軽くなる気がした。

子育てをしていると、

つい

自分のやり方や

自分の性格の問題だと

思ってしまうことがある。

でも、

もしかしたらそれは

私の問題だけじゃないのかもしれない。

社会の仕組みや、

時代の空気。

そういうものも

子育てには

たくさん影響している。

子育てには、

イライラしてしまう要素が

きっと色々重なっている。

でも私は、

構造的にどうにもならないことまで、

全部、

自分のせいだと思いながら、

生きていきたくはないと思った。

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