私は、反抗期がなかった子だった

「私は、反抗期がなかった子だった」というタイトル画像。反抗期がなかったのではなく、自分の気持ちを出せなかったのかもしれないという気づきと、子どもが安心して自分を表現できる家庭でありたいという思いを綴ったエッセイ。 エッセイ

「うちの子、反抗期なかったのよ」

その言葉を聞くたびに、

私はどこか安心していた。

反抗期がないことは、

いいことなんだと思っていたから。

親を困らせない。

素直で育てやすい。

それが理想なんだと思っていた。

なぜなら、

私自身もそうだったから。

でも、

子育てをするようになって、

少しずつ思うようになった。

私は、

「反抗期がなかった子」

だったんじゃない。

反抗できなかった子

だったのかもしれない。

親に強く反発した記憶もない。

大きく揉めたこともない。

だから私は、

それがいいことなんだと思っていた。

でも今になって思う。

あれは、

反抗しなかったんじゃなくて、

出せなかっただけだったのかもしれない。

子どもが反抗するのって、

本当に悪いことなんだろうか。

言うことを聞かない。

口答えをする。

わがままを言う。

そういう姿って、

つい「困るもの」として見てしまう。

でも、

それは、

自分の気持ちをちゃんと出せている

ということでもある。

「育てやすい子」

その言葉を聞くたびに、

私は少し立ち止まる。

本当にそれは、

その子の特性なんだろうか。

大人が困らないように動いてくれる子。

空気を読んで、

求められていることを先回りして、

波風を立てないように振る舞う子。

それは確かに、

大人にとっては楽なのかもしれない。

でも、

その子が自分を抑えているだけ

という可能性もある。

昨日、

子どもたちが進級した。

同じ保育園での進級だったし、

私は特に何も感じていなかった。

でも帰り際に先生が、

「今日はたぶん、

すごく疲れていると思います」

と声をかけてくれて、

そのとき初めて、

確かに、そうだよなと思った。

案の定、

保育園の玄関で靴を履くところから崩れて、

雨の中、大泣き。

どうにか連れて帰ったけれど、

家でも大暴れだった。

前の私だったら、

なんとか落ち着かせようとして、

整えようとしていたと思う。

でも昨日は、

「今日はもういいや」

「疲れてるんだ。

新学期初日を頑張った証拠だ」

そう思えた。

コーンフレークをたくさん食べて、

夜にはクッキーも食べて、

歯磨きもしないまま寝た。

めちゃくちゃだったと思う。

でも、

みんな笑っていて、

ちゃんと平和に終わった。

もしかしたら大事なのは、

反抗期があるかどうかじゃない。

家族の中で、

安心して自分を出せているかどうか

なんじゃないかと思う。

私は、

反抗期がなかった子じゃなかった。

出さなかっただけ。

出せなかっただけだったのかもしれない。

子どもがどうか、じゃなくて、

私がどう関わっているか。

家族の中で、

「自分を出しても大丈夫」

そう思える場所をつくること。

それがきっと、

一番大事なことなのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました